沖縄本土復帰50周年

沖縄本土復帰50周年
沖縄本土復帰50周年

復帰の日 葛藤をかかえて

復帰の日 葛藤をかかえて

沖縄戦で上陸したアメリカ軍は、戦後も沖縄に駐留し基地の拡張を進めていきました。東西冷戦の国際情勢の中で、沖縄のアメリカ軍基地は重要な拠点として位置づけられ、その基地機能はますます強化されていきました。アメリカによる軍事優先政策によって県民の自治、財産、権利等は制限され、復帰前の沖縄は苦難を強いられた時代でした。1960年代に入ると、祖国復帰運動が本格化し、基地の全面撤去がさけばれるようになります。基地のない平和な沖縄県の実現を求める県民の声は大きかったにも関わらず、日米両政府は基地を残したままの返還に合意しました。様々な不安を抱えながら沖縄は1972年5月15日に日本に復帰しました。
5月15日は沖縄にとって悲願達成の日となりましたが、一方では現在まで続く基地問題等の様々な苦難の新たな始まりともなりました。

復帰の日 葛藤をかかえて
復帰の日 葛藤をかかえて
復帰の日 葛藤をかかえて

新生沖縄県の誕生

<新生沖縄県の誕生

復帰を実現した沖縄県。施政権がアメリカから日本へ返還されたことにより、日本国憲法をはじめとする本土の諸法令が沖縄県にも適用されるようになりました。そして、アメリカ統治下時代に発令された布告・布令は完全に姿を消していきます。本土への渡航が自由になり、ドルから日本円への通貨の切り替えが行われ、交通方法も「車は右、人は左」から「車は左、人は右」となりました。県民の日常生活は復帰にともなって、大きく様変わりしたといえるのではないでしょうか。また、復帰記念三大事業として、復帰記念植樹祭、沖縄特別国民体育大会、沖縄国際海洋博覧会が開催されました。全国民で復帰を祝い、沖縄県への理解を深めること等を目的としました。復帰にともなう様々な事業は沖縄振興計画を基に実施され、脆弱であった社会基盤整備を推進する一方で、自然環境破壊の要因となりました。
復帰直後の生活不安や社会不安は次第にやわらぎ、新生沖縄県として新たな社会が築かれていきます。復帰前から続く課題は解決されないままでしたが、ウチナーンチュはしっかりと前を向いて、力強く歩み始めていきます。

新生沖縄県の誕生
新生沖縄県の誕生
新生沖縄県の誕生
新生沖縄県の誕生

沖縄ブーム到来

沖縄ブーム到来

元号が平成となった1990年代以降、沖縄県は様々な方面から注目されるようになりました。その火付け役となったのがドラマ「ちゅらさん」でした。ちゅらさんは全国でも高い人気を集め、沖縄ブランドの確立していきました。また、ちゅらさん以前にもミュージックシーンを席巻した安室奈美恵をはじめ多くの県出身アーティストが活躍しました。また、スポーツの分野においては、ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高、喜友名諒をはじめとする県内オリンピアンの活躍、サッカー、バスケットボール等と印象的なシーンは数多く残っているのではないでしょうか。
沖縄の県内外における認知度の向上は、そのまま観光産業の発展に直結していきます。本土復帰20周年記念事業として復元された首里城正殿、名護市万国津梁館で開催された九州・沖縄サミット、沖縄海洋博公園内にオープンした美ら海水族館等、沖縄の豊かな自然、伝統ある歴史・文化等が県内外のみならず世界中に発信されています。沖縄ブームを形作っている一つひとつが、沖縄の誇りといえるのではないでしょうか。

沖縄ブーム到来

不安・継承・課題

不安・継承・課題

民俗、芸能、美術工芸など琉球王国時代から脈々と続く伝統文化は、私たちの生活をより豊かなものにしてきました。しかし、その一方で私たちの生活をおびやかしている課題が残されていることも事実です。
復帰後もしばらくの間は県内失業率が全国平均を大きく上回り、県民所得も全国平均の約7割と言われるほどでした。大型の商業施設が立ち並び、本土の都市部とそん色のないような感じを受ける現在、沖縄の社会は豊かになったように思われますが、所得格差の問題は依然大きく、特に「子どもの貧困対策」は第6次沖縄振興計画においても重要課題の一つに挙げられています。
また、今なお残る広大な米軍基地の問題も深刻です。米軍基地があるがゆえに発生する事件・事故は後を絶たず、近年では基地の存在が地域経済発展の阻害要因となっていることが明らかになっています。海外交易が活発だった古より培われてきた「万国津梁」の精神。軍事に頼らない平和な島ウチナーを築いてきた伝統が、基地のない平和な沖縄の道しるべとなるのではないでしょうか。

不安・継承・課題

希う、未来

希う、未来

1972年の復帰以降に生まれた世代は、現在、県の人口の約6割を占めています。それが、25年後になると約8割となっていきます。(国立社会保障・人口問題研究所のデータを参照)凄惨を極めた沖縄戦、「アメリカ世」と形容される復帰前の沖縄、激しい運動や行動を展開し勝ちとった沖縄の復帰、それらを経験した世代は次第に少なくなり、今後復帰自体が風化するのではないかと危惧しています。
復帰後初の県知事である屋良朝苗も新沖縄県発足式典のあいさつで「戦後今日まで幾多の試練に遭いながらも、よくこれに耐え抜き、むしろそれに鍛えられて強靭な根性を身につけた沖縄県民がここに健在であることを何よりも誇りに思います。」と述べています。当時のウチナーンチュの気概を将来へと受け継いでいかなければならないのは、今いる私たち一人ひとりの使命ではないしょうか。沖縄には豊かな自然が数多く残されています。先人たちが築いてきた伝統的な歴史・文化があります。そして、清らかで優しさあふれる人々が生活しています。私たち一人ひとりの沖縄に対する思いが、沖縄の将来像を形作っていくことになると願っています。

希う、未来
希う、未来

写真全て:「沖縄県公文書館所蔵」